鵼の碑 感想 (ネタバレあり!!!!!!!!!!!!!!!!!)
鵼の碑 感想 (ネタバレあり!!!!!!!!!!!!!!!!!) 発売からチマチマ読んでいて、相変わらず通勤がなくなって以降本読みとラジオ聴きが激減したなあ、と改めておもったりした 群像劇なので(?)、章またぎあたりで切りやすく、珍しく電車移動したりする時にちょっと読んでは帰ってきてからはナイトシティへ行ったり、レジェンドに憑依したりしてるうちに一ヶ月も経ってしまった 後半1/3あたりから一気にドライブしてきて、最後には "何もない" ことがわかるだけなのだが、木場がそれぞれと合流して "何か" = 鵼 の輪郭がチラ見えした時の興奮.....からの、最終章・鵼で遠巷説百物語にも登場する(地理的に同一ではないとおもうけど)迷い家が出てきて、しかもこれも別に又市たち直系ではないんだろうけど巷説百物語でやってきた化け物....妖怪をもってして角を丸めるという渡世が昭和の世では通じなくなってしまった、という物悲しさが、そして百鬼夜行とは対のシリーズだったんだ....!ということを凡夫に教えてくれて、オイオイ泣いてしまった お話としては、20年前付近でイロイロともつれていただけで今の時制では何も起きてなくて、ただ今の時制で時代の遺物/異物だった山の者たちと要所要所でボタンをかけ違えていただけで、何気にシリーズいち平和な回だったのかもしれない
山の者たちが救おうとした寒川さんを救えなかった(祓えなかった)のは残念だったけども...
死期を悟った者の狂気と、それに感化されてしまう者、というのはカルトの起こりのようにも見えるし、信仰のはじまりもそんなもんなのかな、という気もしなくもない 逆に匂わせというか、本編2/3くらいまでを覆うきな臭さはすごいそれっぽいのだが、これは築山さん(と寒川さん)同様に科学を信仰してしまっている自分を見透かされているようで結構ウッとなった
一番グッときたのは宗教と科学は並び立つもので、科学の物差しで宗教/信仰は測れないし、逆に信心では科学はできないのだ、という 高専、大学とそれぞれいわゆる理系のそれを出ているが、正直科学的な思考が身についてるのかというと全く自信がないし、逆に信仰心があるわけでもないので、寄る辺なく生きている
常々自分は霊感商法みたいのに引っかかりやすいんだろうなーとおもって生きている 時代が時代なら山の者たちのファンタジーの中で生きてもいけるだろうし、逆に本編の築山さんのように「祓われた」と頭のネジを回し直して生きてもいける......とおもう
ただそれが善意がソースで、結果も己にとってよければプラスだし、逆に悪意がソースで結果的に搾取されているのであればマイナスなんだろうなーというだけで
それこそ本編のような旧日本軍の陰謀論めいた話みたいのは多感な頃にめっちゃ好きだった(信じていたフシもあるとおもう)ので、同様に陰謀論みたいのも割と引っかかりやすいはずで、それは現代において非常によろしくないという自覚がある 歴史観ひとつとってしても、ローマは塩野史観、中世から近世はパラド史観、そして近現代日本はおそらく柳田國男や水木しげるからの京極史観と全部借り物で、それこそ鵼のようにキメラ状だし、それでいて中空には何もない.....と悲観的な気持ちになるけど、まあそうなのだ 遠巷説百物語では一行は東北を抜けてさらに北、おそらく蝦夷へ向かうようなので、少なくともあと1作はあるのかなあ、とおもっているが、それにしてもそれに連なる者たちのうち、寛作はおそらくマタギとして生涯を終えるのだろうが、笹村兄妹は里である程度順応して暮らしているようだから、命脈は保たれている.....のかな 何気に月の鬼の事件を報せる記事を緑川が読んでて、そっかあ同時期なわけね〜という目配せをみたりした 鬼は否応なくヒトごろしを連想するわけで、もうすっかり京極バースのとりこである てか一白翁ってーーーーーええーーーーーっっっ!!!!(ここで後巷説百物語を引っ張り出してくる) 後読んでたら何気に陰摩羅鬼の由良家も関わりがあったんだったなあ エンジンかかってから4時間ぐらいかけて全部読み終えた
先日、日光に行ってきたんだけど輪王寺に「この辺に埋まってたのかな〜」ポイントは行ったらわかったりするんだろうか あと旧尾巳のモデルっぽい場所はあったりするのかなあ